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−人間本来の発露 −
思いやりに満ちた心豊かな社会 「努力は必ず成就を生む」
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皆が幸せな社会を願っている
大島事務局長−
まず同運動を全国に呼びかけられることになりました動機、機縁から
お伺いいたします。
庭野開祖−
今から約三十年前というと、日本人がエコノミックアニマルと書われ始めたころじゃなかったかな。経済発展ばかり考えて宗教や倫理を無視する人たちというので、ある外国の政治家がそのように呼んだと聞いています。外国へ行きますと、日本のことを「背骨のない巨人」とか、いろいろな呼び方をしている。だからWCRP(世界宗教者平和会議)の基礎固めに走り回っているうちに、これは足元の日本もしっかりしなければ−というのが、そもそもの動機といえるかもしれません。加えて日本人は、宗教を堅苦しいものと感じているんです。ただ、宗教には参加しにくいが、明るい社会づくりなら気楽に参加できるというところがある。つまり、すべての国民がそれぞれの信念や信仰の本義に目覚め、それに基づく生き方で思いやりのこもった心豊かな社会をつくっていくのが究極の願いです。そこに行く道として明社運動が始まったわけです。例えば、県知事なら、明るく住みよい県をつくりたいという理想がある。それと同様に、私たち宗教者もお互いに手をとり合い、幸せな社会にしたいと願っている。明るい社会をつくろうとする信念は一緒なんですね。ですから志ある人なら、気楽に参加できるわけです。明社運動を始めたころはね、「庭野は、何を言っているんだ」と言われたものです。でも、実際やってみると、知事さんや市長さんが喜んで明るい社会づくりに参加、協力してくださる。教育者や福祉関係の皆さんも参加してくださる。徐々に地域レベルへと活動が進み、今日まで皆さんが手をつないでやってこられたわけです。
法華経の精神は「一仏乗」に!
大島事務局長−
当時の開祖さまのお話をお伺いしますと「昭和元祿で物に浮かれている
から、心を物と同じように大きくしなくしゃいけない」と話されております。
庭野開祖−
明杜運動を始めて四、五年がたったころ、「この運動はいける」という自信をもちました。皆さんも同様に自信をもち始めました。私は提唱者の一人にすぎません。同じくする人たちが、たくさんおられたということですね。
大島事務局長−
開祖さまの呼びかけに全国行脚された折には、宗教界の垣根を越え、知事さん
や市長さんたち地域の識者の方にも、積極にお会いになっておられます。
庭野開祖−
私が信じている法華経の精神は、「一仏」といって、皆で一緒に幸せになろうということなのです。ですから、宗教者だけでなく、どなたにでも分け隔てなく話ができるのですよ。そりゃ初めはね、明社は佼成会の教勢拡大のための手段ではないのか、われわは、それに利用されていのではないか、といった疑問や質問が数多くありまた。そんな時、「黒子に徹する会員の姿に打たれて、入会したいという人がいれば拒むわけにはいかない」話したものです。WCRPでも私は当初から、使い走りの役と覚悟しましたよ。そうした皆さんの疑問もだんだん払拭されて、信用して頂けるようになったのはうれしいですね。
手を携え努力し合ってこそ
大島事務局長−
開祖さまは昭和四十四年の「躍進」七月号で左藤義詮・大阪府知事(当時)
との対談で「いまの世の中に一番求められているのは、人間の自尊心、
個人の主体性、社会的責任に訴えかけてエネルギーを引き出し、個人の
努力が社会全体の進歩に寄与するような活動を促す、精神の復興連動の
リーダーである」「明るい社会はだれかがつくってくれるというものではない、
気のついた人、目覚めた人がまず立ち上がって行動を開始し、他の人々
にも根気よく呼びかけていかなければならない」「より良き未来に向かって
進んでいると信じられる時には、人は山をも動かしますし、反対にもし希望が
もてなければ、人は沈潜し腐敗する」という話をされておられます。
庭野開祖−
そうですね。今でもその考えに変わりはありません。また、一人でも多くの人に明杜運動に対するご理解とご協力を頂きたいから、いろいろ知恵をしぼってもきましたね。
大島事務局長−
これまでの開祖さまのお話を伺っておりますと明社運動とWCRPは車の両輪
である、ということでしょうか。
庭野開祖−
車の両輪なのです。神頼みで終わるのでなく、人間同士が手をとり合って、努力しなければ明るい社会はできません。明社運動が発足した当時、いや現在でもその傾向がありますが、自分律するための倫理道徳ではなく、他を攻撃するための倫理・道徳になってしまっている。社会が明るく、そこに秩序が生まれるためにはこの運動が不可欠なのです。
いつでも縁の下の力持ちで
大島事務局長−
聖マリアンナ医科大学の坂本堯・名誉教授が「庭野先生が明杜運動を提唱
されたのは人間の本性の回復を目指されたのではないか。宗教の枠を枠え
て人類愛という枠組みで提唱されたのではないか」と話されております。
庭野開祖−
自分で活動してみてわかるんですが、やはり人を集め、動く時には識者の協力が大切なんです。地獄というのも極楽というのも、つまるところは、人間の心の中あるわけですから、どうしても世界、そして足元の日本社会のことを考えざるを得ない。そうした時に、仏教でう緑、これを梵語で「プラティヤヤ」といいますが、この言葉には「信頼、誠実、証」という含意があるのです。ですから、論者の皆さんからご緑を頂くためには、どうしても、私たち自身が信頼と誠実の証を身もって示さなければなりません。ですから、仏道修行と明杜とは別次元のものではないのですね。
大島事務局長−
いろいろな会議に参加された方が、懸命にボランティアをされている佼成会員
の後ろ姿に感動し、「佼成会の信仰は素晴らしい」と話しておられました。
明社活動における佼成会の姿勢とかかわり方について開祖さまの願い、思い
はございますか。
庭野開祖−
その点については、黒子というか、縁の下の力持ちに徹する姿勢を今後も続けていってほしいですね。法華経では方便(正しい手段)を非常に大事にする。真理も譬諭の形をとって、初めて表現される。そのためには方便は欠かせない大事なものなのです。オアシス運動というのも、どこかの明社から生まれたのではなかったかな。おはようございますのオ、ありがとうのア、失礼しましたのシ、すみませんのス ― これだって立派な運動ですよ。アイデア、つまり方便です。
当たり前を当たり前に行う
大島事務局長−
井深大・前明社会長が「明るい社会づくりという崇高な運動を継続し、進めて
いくためには人柄で進めていく以外にない。その人柄はどうしてできるか。
それは信念がもとである。その信念のもととは何かというと人生観であり、
哲学であり、儒仰である」と話されております。明杜はこれからどう取り組んで
いけばよろしいのですか。
庭野開祖−
感謝してやれば何事でも成就するんです。不平でやったならば成就しないんですよ。世界中の人が望んでいる平和だから、そのための活動に皆さんが賛成してくださる。きわめてわかりやすいんです。何も特別なことをするのではない。当たり前のことを当たり前にできる人づくりですね。世界中がみんな手をつなぎ、異体同心となって幸せな世界をつくろうという考えをもち、実践していこうということです。
大島事務局長−
かつて開祖さまは「人間はだれも皆心の底では世のため、人のためになりたい
と思っている。だから皆で力を合わせ、実践していけば必ず素晴らしいものが
できるはずだ」と話されていました。この簡単なひと音のなかに人類に対する
信頼、社会に対する信頼というものが込められているのですね。
庭野開祖−
そこをわかってもらえばありがたいですね。みんな心の底では同じ思いなんです。
明社の大導師は仏さま
大島事務局長−
発足して二十五年を迎えた明杜運動の新たな出発に際して何かお言葉、
お考えがありますか。
庭野開祖−
山田恵諦貌下が常におっしゃっていた「よいことは長く続く。よくないことでないと長続きしない」ということです。法華経というのは二もなく三もなく「一仏乗」なんです。仏さまの願いというものは、すべての人を仏の境地へ導き、本当の幸せにしてあげたいという一事につきるんです。「草木国土悉皆成仏」という言葉がありますように人間はむろん、草も木も水も士もすべて仏になれるんです。そして、大調和した明るく幸せな世の中は、われわれの努力次第で必ずつくり出せるのです。
大島事務局長−
それが明社が目指す最終のゴールでしょうか。
庭野開祖−
そういうことです。いわば、明るい社会づくりの大導師は仏さまなんですよ。
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佼成新聞(1994年10月7日号に掲載記事より)
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故 大島浩之氏 プロフィール |
元 明るい社会づくり運動事務局長 ・ 元 世界宗教者平和会議(WCRP)事務局長
事務局長として、明るい社会づくり運動全国大会に皇室をお迎えする。
第六回全国大会(皇太子殿下並びに妃殿下)/第七回全国大会(常盤宮殿下並びに妃殿下)
著書:「この一冊で宗教がわかる」三笠書房 / 「宗教の事典」日本実業出版社 / 「宮沢賢治の宗教世界」北辰堂 / 「宗教と青年」自由国民社 / 他
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