
|
|
|
佐 藤 秀 裕 氏
元 明るい社会づくり運動 全国協議会・拓塾々長 |
|
―――人づくり基本をおく運動―――
庭野日敬師の世界平和論は、原始仏教(根本仏教)の根本道理と、大乗仏教の仏典の一つである「妙法連華経」に依って確立されています。昭和47年に刊行された『平和への道』は、庭野師の世界平和にかける決意と、仏教から得た思想信念が語り尽くされていますが、その中でも「私は平和のために生き、平和のために死ぬ事を覚悟していますと・・・・。」との冒頭の言葉は、他に言葉はいらない真摯な決意表明と受け取れます。
又、次のように思想信条を語っています。「平和を実現するためには、人の心を変えなければならない・・・・・ これは、根本の大道であり絶対に欠く事の出来ない大事です。かと言って、形の世界に現れる政治、外交、経済、文化と言った面をそのままに放っておいていいという事ではありません。こうした現実の世界についても、具体的な目標を持ち、具体的なプランを立てて、一歩一歩確実に人類の福祉と平和を推し進めていかなければなりません。我々人間は、心の世界に住んでいるのと同時に、形のある現実に住んでいるのですから、この形ある世界をそのままにして、心に中でどんなに平和を祈り、平和へ近付こうとしても、それは片輪の努力と言わざるをえないでしょう・・・・・。」と。
引用が少し長くなりましたが、この表現の中に庭野師の世界平和にかける行動原理が集約されて示されています。「世界宗教者平和会議」(WCRP)も「宗教協力」も「明るい社会づくり運動」も、全てこの行動原理が基となって進められている事が解ります。そして、この引用文の重要な事は「平和を実現するためには、人の心を変えていかねばならない・・・・。」という、自己から他人という人づくりを基本とする、内面の世界から形ある世界
− 外面の世界、政治や経済、文化面をも変えて行くと言う、法華経観に貫かれている事が解ります。
内なる意識の改革が、外なる政治・社会全体を変えて行くという方法と言えます。庭野師の世界平和実践の国内版が、明るい社会づくり運動と位置付られており、同運動は解り易く表現すると“人づくり”を基本にして“人助け”福祉、奉仕活動を推進して行きながら、社会全体を変えていく事になります。個々では“人づくり”が出来たとしても、社会全体が健全になって行かない限り意味がありません。従って“人づくり”が先ず“自分づくり”、そして“社会づくり”“国づくり”まで一貫して関連をもった運動でない限り、世界を平和に導く運動とは言えません。宇宙や地球上の生命体の連なる人類、個人は国家や民族、宗教、主義、主張の異いを超えて、共生、共存する生命体でもあります。今日の時代は、宗教や民族の異いを超えて同じ生命体として共存して行くしかありません。資源や水、食料の争奪の思想から脱して、共存共栄の思想にいきつくしか、人類の共存していく道はありません。地球環境が汚染され、破壊されようとしている今世紀に入ってからも、世界は核開発、実験、民族、宗教の対立はテロという手段で、世界各地で殺りくが行われています。
世界大戦後の60余年経ても、今だに世界各地で戦争は起きており、その火種は尽きる事はありません。宗教や祖師、教義の異いが宗教対立を生み、同じ民族同志が利害関係から争い、更に国家制度や、社会制度の異いが人類全体に生命の危機と不安を招いています。庭野師は「法華経 神力品」から導き出し、「現在においてはこの娑婆世界には沢山の教えが存在しており、その事が人類共通の幸福への道を阻んでいます。しかし、未来においては必ず、全ての教えや学問が一つの教えに帰一します。そうなった時、この娑婆世界は宇宙間で最も尊い国になります。」という予告を、今日の状況にあてはめて解説しています。
――― 政治改革と意識改革 ―――
明治維新政府が西欧から、取り入れた国家体制とか社会・政治形態は、これまでの封建社会から、国民を身分によらない公平な社会生活を指向させるために取られたものでした。
しかし、世界大戦での敗北による全面降服は、いつまでも人間の価値観や言論・思想信条までも、一つの国家体制や、政治形態に押し込めておくことは出来なかった、という一つの証明でした。
大事なことは、“人づくり”も国家体制や政治体制に規制されたり、左右されるものでなく、国民一人一人の意識にかかわる心のあり方・生き方にあるといえます。
明るい社会づくり運動は、平和な国づくり、健全な社会づくりを目指していますが、極論すると平和に向けての実践手段は、二通りの方法があります。
一つは、戦争や革命などの急激な変革と犠牲を伴う方式。もう一つは、その国の体制や社会制度の中で、共存している人間一人一人の価値や考え方、思想・信条を変化させて行く方法です。社会・国家も、それぞれ構成しているのは、一人一人の意識の集合で成り立っている社会であり、国家であるところから、必然的に国家や社会全体を変えて行くと言う考え方に立ちます。
世界の近代史を見ても国家と国民の関係は、この両者のバランスにより成り立っています。
戦争や内乱は、この両者のバランスが崩れたところから起こります。日本のような民主主義社会においては、まさにこの事は真実性をおびます。国民が政治を無視してしまい、このバランスが崩れます。社会や国家と言っても、個人個人とその意識の総合体により、成り立っているのです
――― 人間づくりが理想の国造り ―――
本運動を提唱した庭野日敬師は、国民の一人一人が倫理的に道義的に向上していく事が、必然的に社会全体の向上につながるという考えを、仏教の根本道理から次のように述べています。「先ず、考えられる事は最適社会のための国づくりであり、国造りをするためには人づくりが肝要です。そして、人づくりの根本は教育です。真の教育は、一生を通じて行われるべきものです。いわゆる、生涯教育によって人間は人間として、より向上する事が出来るのですし、それがあってこそ、社会がまた進歩するのです。」
もう既に、十年以上の前になりますが「90年代 世界はどうなる。日本はどうなる。」(文芸春秋)のなかで、日本を代表する言論人として執筆していた井深大氏は「・・・・どんなイデオロギーも人々の心に支えられたものでない限り、国民に幸福はもたらされないし、人々が幸福でない国は長くは続かない。・・・・・国家制度は人々が合意の上で、より豊かな世の中を作る為の方法論にすぎない。まず、国民があって全てが始まる。これは人類不変の原則である。国家制度やイデオロギーは、一つの国づくりのための方法論であり、その根本には国民がいる事を強調している。」そして、「・・・・・人々を幸せにするのも結局、人間のなすことを考えると、時間がかかるように見えていても、その最も近道は一人一人の全人格と、英知を育てる教育、人間づくりこそ理想の国づくりに一歩でも近づく最良の策で思えてならない。」と、人間一人一人の全人格と英知を教育していく事の大切さを説いている。このことは井深氏が激動する国家状況の中で、人づくりを根本に国づくりを提案しているのであり、制度や主義に依らない、これからの方向性を示す上にも、大変重要な示唆を与えていると言えます。 |
|
|